2017年05月17日

幸せのブルース(作詞・作曲:甲本ヒロト)



ヒロトの個人的な持ち歌らしい。


86年「人にやさしく」と名付けられたライブで、ギターをマーシー、河ちゃんが担当し、
ベースを梶くんが弾いて歌われ、これ以外には歌われることはなかったそうだ。

カントリー調の、明るく前向きな歌詞はブルーハーツ初期に見られた青年の衝動を感じ、
未発表曲には割と暗めのテイストが多い中、唯一楽しさだけを感じる曲。


「幸せ」なんて言うと、最後のブルーハーツからは違ったニュアスンを汲み取りそうになるが、
いろんな幸せ、それぞれの幸せがあっていいんだと思う。


ヒロトはどういう気持ちでこれを作ったのだろうか、と思考を巡らせる。



友達と仲良く旅に出よう
友達と仲良く旅に出よう

むずかしいことが多すぎるから



何かに悩んだり、葛藤を感じていたのだろうか。
難しいことが多すぎるから、と言っているあたり。

それで、どこか遠くにいって気分をリフレッシュしてえなあ、
そんな風に思ったヒロトがそのままの勢いで作った曲のような気がする。

ヒロトはよく言うけど、歌詞と言葉が同時に出てくるということで、
これもなんとなく鼻歌で歌っていたらできた、
そんな雰囲気を感じる。




僕たちは幸せになれるよ
僕たちは幸せになれるよ

今も幸せになりかけているじゃないか


まるで自分に言い聞かせているかのような歌詞だ。
かなり、当時のヒロトは今のように晴れやかに歌い切るという心情ではなく、
何か鬱屈した心情から言葉を絞り出すようにして歌っていくという泥臭い
決意のようなものを醸し出している。

これも、クロマニヨンズで歌われる「今日は最高」の時よりも、
もっと、「迷いの中にある、信じたい希望」のような、
抜け出したい暗闇を歩いている、そんなテイストを持っている。

クロマニヨンズでは、「雷雨決行」の中で、
真夜中何度も 何回も 暗闇の中を手探りで
ドアノブを求めつまづいた とにかく出口が欲しかった


と歌われているが、この歌が作られたあたりの時期を指しているのではないか、
と感じる。

幸せになれるんだ、そうやって信じて生きていこうとする、
少年味のあるヒロトの姿が残っている。

ちなみに、幸せの説明でいくと、ヒロトは言葉として残しているものがある。

「幸せを手に入れるんじゃない。
幸せを感じる心を手に入れるんじゃ。」




花を見たり小鳥を見たりしよう
花を見たり小鳥を見たりしよう

自動車よりキレイだと思うから

都会の生活に疲れていたのか?
自動車を持ってくるあたり、地元岡山ではでてこなかった歌詞のように思う。

花や小鳥という自然物の歌詞を持ってくるのは、過去の体験=田舎暮らしの穏やかさ
に懐かしみを覚えたり、少年の時とは変わった環境へのギャップを紡いでいると
思われる。


法政大学に受かって、上京してから数年が経っているはずだから、
もう都会にも十分慣れている頃だ。


この歌詞にも、リンクする言葉がある。

「その人の心が自由じゃなければどんな野山に放たれても自由じゃないと思う。」


どこに行っても、実は結局自分が幸せや自由を感じていなければ
変わらない、それはわかっているんだ。

だけど、それでも旅に出たい。

そういう矛盾に似た気落ちを抱えながらの歌だと思う。


フンフンフンフンフンフンフフフフフフフフフン



最後、あえて鼻歌のままにしているのは、鼻歌を歌う気分の気軽さ、
こんな雰囲気で旅をしていきたいんだ、
そんなヒロトの気ままな心情を読み取ることができる。


この歌、正式にきちんとレコーディングすればそれなりにいい曲として
受け継がれていくと思うんだけどなあ。

未発表曲、そんな曲ばっかりだ。

尾崎豊とかも死後にたくさんの未発表曲が出てきて、
とてもいい曲があるのには驚く。

だけど本人からすれば何か、納得がいってない部分があって、
理由があって未発表なんだろう。

ただ、後年の名曲「TOO MUCH PAIN」とかはマーシーが、
アルバムに収録しなかったのは、忘れていた、に近い、と言っていたくらいだから、
あまりこだわりなく発表していない可能性もある。

であれば、思い出して、収録し直すのもいいんじゃないか、と浅はかな今後の発表に期待を寄せてしまう。
posted by 荒井コウスケ at 22:55 | Comment(0) | 未発表曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月13日

お前の宇宙に入れてくれ(作詞・作曲:真島昌利)



なんでこれを未発表にしたんだろう?
と思われるくらい、いい曲。

いい曲、というのを何を持っていいとするか、が重要だが
普段のブルーハーツの世界観とは少し異なる、ゆえに新鮮味があり、
デビュー当時の歌の中ではひときわシンプルに構成されて
ヒロトの泥臭い声がマッチしている歌詞でもある。

ただ、マーシーの作詞作曲の中で、マーシーがブレイカーズで歌っていそうな雰囲気を
持っていて、その辺がブルーハーツとしての色と異なったから未発表で終わらせたのかもしれない。


この曲が収録されていたら、歌い継がれる歌になっただろうな〜と勝手に一ファンとしては想像してしまう。結婚式で流す人とかもいそうだ。

ラブソングと捉えるのが一般的だろうが、
それ以外の関係性でも成立する、人を思う、純粋な心を歌っている。


ときどき ひとりぼっちがさみしくて
わかりあえてるふりをする

ときどき ひとりぼっちがつらすぎて
信じあえてるふりをする


「ひとりぼっち」・・・この言葉を、彼らはよく使う。
浮かんだのは、「チェインギャング」

ひとりぼっちが怖いから、半端に成長してきた


マーシーは、言いようもない孤独と対峙して、その中で考えを深め思考し、
そこから湧き出たメロディや歌詞が、作品になっているんだろう。

クロマニヨンズでも「ボッチ」の中で、

ひとりぼっち 太陽もひとりぼっち


と繰り返している。

ハイロウズでは「そばにいるから」の中で

意地悪な王様が 二人のじゃまをしても君を一人ぼっちには させやしない


「ピストン<」/strong>の中で

何するんでもひとりぼっちじゃ 部品の足りない 不完全な単気筒


ブルーハーツでは、チェインギャング以外にもたくさん使われている。

「終わらない歌」

ひとりぼっちで泣いた夜


「1985」

僕たちをひとりぼっちにさせようとしたすべての大人に感謝します


「ハンマー」

夏を告げる雨が降って 僕は部屋でひとりぼっち


「夕暮れ」


ひとりぼっちじゃないぜ ウインクするぜ


これだけ、ひとりぼっちという言葉を使っているアーティストはいるのだろうか、
というくらいに、たくさん使っている。それも、マーシーだけってわけじゃなく、ヒロトの作詞でも
使われているのが興味深い。


お前の心なんてわからない
わかったふりはしたくない

そうしてお前のことを考えて
少しでもわかろうとする


人の心なんて、わからないと正直な気持ちを綴った。
それは、単純に、「気持ちがわかるよ」なんて言い切っちゃう安易な優しさよりも、
本当なのかもしれない。し、嘘をつくことを避けたのだろう。

でも、それがマイナスというわけじゃなく、だからこそ、知っていきたいんだよ、
とそのあとの歌詞で、「わかろうとする」と、前向きに考えている。

次にの歌詞に続く

ah〜お前の宇宙じゃ
Oh〜俺は何者だ
ah〜お前の宇宙に
Oh〜俺も入れてくれ


宇宙、とは、それぞれ個人ごとにあり、宇宙と宇宙の交流が、
人との関係なんだと。

これは、大きな、孤独を抱えるもの同士、つまりその誰もが逆らえない運命を共有しあって、
葛藤を抱えながらも、どうにか一体になろうとして、心の門戸を開こうとしている人間社会の
構図を描いている。

これは、現代の話ではなく、人類が生まれついたその時からの永遠のテーマだろう。

だがしかし、それゆえに私たちは孤独という共通点を持ってして分かり合えるのかもしれない。

だから、寂しいことではないんだと思う。


大事なお前と同じ夢を見て
同じように感じたい
大事なお前と同じところから
同じものを見ていたい


2番の歌詞からは、先ほどの少しでも近づき、一体となろうとする意思を歌っている。

メロディや曲の雰囲気からは少し寂しさを感じるが、
実際には、それだけで終わらずにこれから希望を持って、その目の前の「お前」ともっと
関係を深めて、分かり合おうとする意思表明、そこから始まる物語を予感させる。

普遍的なテーマで、その辺がブルーハーツらしく、未発表であまり音質の良くない音源しか残ってなかったとしても、
聞き継がせていきたい曲だ。


ちなみに、私はフォークシンガーの松山千春さんも好きなのですが、
これを聞いた時、彼の「愛って呼べるほどのもんじゃない」にとても似ているな、と思いました。(動画はカバーです)

posted by 荒井コウスケ at 07:00 | Comment(0) | 未発表曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月06日

陽の当たる場所(作詞・作曲:真島昌利)

長らく更新を止めていた、こちらの全曲解説ですが、
未発表曲があり、それをやり切ると言いながら放置していたので、
やりきります。

また、ブルーハーツが30周年を迎え、
ありがたいことにこのブログも多くの方に見てもらえるようになりました。

そして振り返って自分の当時の見解を見てみると、
「この曲に対して、そう捉えていたのか」と、今とは全く別の解釈をしていて、
特に浅かったな、と思う解説も多いです。

なので、解説内容をリニューアルして、再アップしていこうと思います。

今回は「陽の当たる場所で」

まずびっくりしたのですが、youtubeに高音質の音源がアップされていました。



自分が過去に聞くことができた音はかなり低音質で歌詞カードを見ない限りは何を言ってるのか
わからないものだったので、是非皆様も聞き直してもらえればと思います。


Aメロ。


キレイな服をいつも着ているね
キレイな靴をはいてる
キレイな車乗り回してるね
キレイなネクタイしめて

確かにあなたはキレイだけど
確かにあなたはキレイだけど
美しくはない



何だろう、当時歌われたのは1986年ぐらいのことらしいが、
いまにも完全に置き換えられる(笑)

そして、「キレイ」と「美しい」に言及している、最初の曲であるということ。


というのが、ハイロウズでまたここに触れているのが「タンポポ」

キレイじゃなくても美しいものが僕は欲しいんだ


作詞は同じくマーシー。

このキレイ、と美しい、に対してマーシーが明らかに違いを感じていることがわかる。

これを聞いた時、自分としては「は?」と思った。

つまり、キレイと美しいの違いを意識したことがなかった、というよりほぼ同じだと思った。

しかし、そこは日本人の心、わび・さびのように繊細な感性を持って感じれば、違いがわかる
はずではないか、と思い、考えるのではなく、感じようとしてみた。

そこで、考えた現在の結論としては、「キレイ」は見栄えを良くして形を整えたもの。
「美しい」は、ありのままそのもの自身の形で、その個性を発揮しきっているさま。

確かに、女性でもキレイじゃなくても、美しいと思う人もいるし、その逆もある。

さらに、マーシーはもしかしたら、いやかなりの確率で「岡本太郎」にインスパイアされているのではないだろうか、
という仮説がたった。

「今日の芸術」という彼の著作の中に、こんな一節がある。

「真の芸術はきれいであってはならない」ということに移りましょう。きれいさというのは、芸術の本質とは無関係だからです。「ああ、きれいね」といわれるような絵が、絵そのものの価値ではなく、たいてい、中のモデルによって関心をひいていること、あるいはたんに心持のよいモダニズムにすぎないことは、すでにお話しました。「きれい」とはつまり、ただそれだけの単純な形式美をさしています。(中略)「美しさ」はたとえば、気持ちのよくない、きたないものにでも使える言葉です。みにくいものの美しいものというものがある。グロテスクなもの、恐ろしいもの、不快なもの、いやみったらしいものに、ぞっとする美しさというものがあります。美しいということは、厳密に言って、きれい、きたないという分類にはいらない、もっと深い意味をふくんでいるわけです。 (今日の芸術/岡本太郎)



芸術論にまで飛躍させているわけですが、この初版発行は、1979年。
この本を読んで、感銘を受けたマーシーが作った歌詞が、この「陽の当たる場所で」であることは可能性としてはかなりあり得る話なんじゃないかと。

他にも、岡本太郎はこのような言葉も残しています。

「美しい」ということと「きれい」というのはまったく違うものであることだけをお話しておきたい。
とにかく、美しいというのは、お体裁のいい、気持のいい、俗にいうシャレてるとかカッコヨイ、
そういうものだと思っている人が多い。
しかし美しいというのはもっと無条件で、絶対的なものである。
見て楽しいとか、体裁がいいというようなことはむしろ全然無視して、
ひたすら生命がひらき高揚したときに、美しいという感動がおこるのだ。

それはだから場合によっては、一見ほとんど醜い相を呈することさえある。
無意味だったり、恐ろしい、またゾッとするようなセンセーションであったりする。
しかしそれでも美しいのである。

本当の美人というのはその人の人間像全体がそのままの姿において充実し、
確乎とした生命感をあらわしている姿だと思う。
シワクチャのお婆さんだって、美しくありうる。

鼻がペチャンコだろうが、ヤブニラミだろうが、その人の精神力、生活への姿勢が、
造作などの悪条件も克服し、逆にそれを美に高める。
美人というのは本質的には女性の数だけあるとぼくは思っている。
もちろん男性においてもだ。(自分の中に毒を持て/岡本太郎)


ゴッホは美しい。
しかしきれいではない。
ピカソは美しい。
しかし、
けっして、きれいではない。


こういう話を聞いたり、「美しい」について触れてみると、
だんだん、自分の場合は、「リンダリンダ」にまで言及したくなる。

というのは、「ドブネズミみたいに美しくなりたい」の真意もここに
関わっているのではないか、と推測してしまうからだ。


しかし、リンダリンダについては、ヒロトの作詞であり、もしもこれが
マーシーとの会話の中で美しさに関することがなかったのなら、全く別物の概念とも言える。

仮に当時のヒロトとマーシーが、キレイ、と美しい、について話したりしていれば、
そこからインスパイアされて生まれたのが、多くの人の人生を変えた一節、
ドブネズミみたいに美しくなりたい」につながっているのかもしれない。
もしくは、ヒロトも岡本太郎の影響を受けていた、とも考えられる。


ここについては、ご本人に確認しないとわからないけれど、聞く側としてはこのように様々な
考察をしてしまうのも、曲の楽しみ方の一つだ。


お金で買えるものと引き換えに
失われたものは何?
痛みに慣れて 背骨砕かれて
手につかんだものは何?

コンピューターで計算された
人生なんて僕はいらない
僕はいらないよ


この辺は、とっても初期のマーシーらしい。
反骨精神のかたまりというか、純粋というか。

ただ、こういう言葉を聞くと、またマーシーじゃなくてヒロトの言葉

デパートで昆虫買ってくるより、「今日は一匹も採れなかった」って言いながら森に行く方が良いじゃん



を思い出してしまう。二人は、やっぱりどこか奥の心の方で、同じような価値観でつながっている部分がある。
まあ、だからあれだけ一緒にやってるんだろうけど。


なんにも持たず生まれてきたんだ
命の他になんにも
死ぬ時だってなにもいらないよ
自由の他になんにも

陽の当たる場所を見つけるには
自分の足で歩くしかない
それしかないんだ



ライブのMCで、この、自分の足で歩くしかない、というのをマーシーが強調していたので、
こういう、裸一貫でやっていくんだ!ということをマーシーは決意したのかもしれない。



マーシーは、死ぬ時のことを歌に出すことが多いのは、昔からだったんだ(笑)

俺は俺の死を死にたい、とか、死人、とか即死、とか。
ローリングジェットサンダーの中では「死んだら死んだで関係ないぜ ちょっとそこらに捨てといてくれ
とか。探せばもっとあるかも。


また、これは陽の当たる場所には、まだ自分はいない、という状態のことを言っていて、
これから見つけに行く、ということだから、
当時のまだブルーハーツがメジャーになっていない背景もあったのかもしれない。

売れずに、陽が当たらないけどロックは好きだから続けてる、というような。



陽の当たる場所で 陽の当たる場所で

あなたに会いたい


最後、あなたに会いたい、という別の誰かが登場している。

これは、要は現在の状況から、自分の足で進んでいった先の世界で、
人に会ってみたい、という願望と捉えた。
つまりは、その時と、会った時の喜びは変わるはずだろう、という。

見えた先の景色を味わって、笑いながら会いたい、というような。


未発表のままで終わらせたのは、本人たちもあまりしっくりきてなかったのかもしれない。

この曲に対して。

なんとなくだが、他の曲との温度差を感じる。

未発表曲から見える、本当に彼らが打ち出したかった作品との違いも、見比べていったら面白いかもしれないな、
そんなことを思う一曲でした。
posted by 荒井コウスケ at 07:32 | Comment(0) | 未発表曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする