2015年04月27日

恋のゲーム(作詞・作曲:甲本ヒロト)

この曲については、メッセージ性の高くないノリのいい曲をつくりたい、
という想いが裏にあったんじゃないだろうか。

また、ベイシティ・ローラーズの同タイトル曲「恋のゲーム」を意識しているのは間違いない。



ブルーハーツが社会派バンドと評されて、そういう姿を期待されていたところで、
キューティパイなんかもそうですが、それを裏切りたくなった。



しばられるのが嫌になった。




ハイロウズからクロマニヨンズもそんな雰囲気を感じるのですが、
より歌詞をわからなくした。



で、これについては本当に単純で、恋の歌をつくろうかなぁ〜〜っていって
すぐに出来た気がする。



メロディも単純ですし。




誰が勝ったのか 誰が負けたのか

恋のゲーム 恋のゲーム 恋のゲーム



特に意味はないと思う。


なんとなく、恋ってなんやねん!?ってニュアンスを感じる。


そもそも勝ったとか負けたとかあるんかい?っていう。




コンピューターにもインプットできない

恋のゲーム 恋のゲーム 恋のゲーム



コンピューターにも、っていう「にも」のところが味わうところですかね。

コンピューターなんかには、っていうニュアンスもありそうです。
そういう次世代的なもんじゃないんだ、っていう。

めちゃめちゃプリミティブで、ありのままのものが恋だから、というのがありそう。

恋というものをヒロトは肯定しているし。



「世の中に言いきれることってねえが。 でも恋愛は絶対素晴らしいと言いきるよ」


そして、恋とは少し違いますが恋について言及している感動した言葉。


「悩むことは当たり前だし それこそがダイナミズムだと思うんだよ 
 それを楽しめないともったいないよ がっかりする時は思いっきりがっかりしたり 
 失望したり 切望したり 恋が叶ってもいいし 失恋してもいいし 
 その瞬間をしっかり掴まえて 心臓が張り裂けるような
 ダイナミズムを味わうってことが もっとも贅沢な生き方じゃん」


ジプシー夜の 口笛を
三日月に ぶら下げて



まず、無知すぎてジプシーってなんだ?って感じでした。

↓検索した結果

北インド起源の移動型民族のこと。
移動生活者の印象があるが、現代では定住生活をする者も多い。
「ジプシー」という呼び方は、長い間の偏見、差別などの為に、
最近では彼等を指す言葉として、「ロマ」の名称が用いられることが多い。




うーん、いまいちピンとこない。。。

そして夜の口笛を三日月にぶらさげて
という表現はロマンチックっぽい雰囲気だがこれもあまりわからないですね。


ここの表現について感じることを是非ともファンの皆様にきいてみたいです。


アダムとイブ
ジュリエットとロミオ



面白い言葉の配置だとおもいました。

アダムとイブというのは普通ですが、
本来ロミオとジュリエットなんですが、これをあえて逆にしている。


この発想の意図がなんなのかはわからないのですが、新鮮でした。
posted by 荒井コウスケ at 07:00 | Comment(6) | BUST WASTE HIP(4th Album) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月20日

インスピレーション(作詞・作曲:河口純之助)



河ちゃん作曲のものについて、あまり共感しないものが多いのだが、
この曲についてはヒロトがボーカルというのもあって、聴ける。


幸せというのが、宗教の幸福の科学と関連付けられていて、
価値観の違いからかヒロトとしては歌いたくなかったようだ。



その証拠に

神様ならばきっときっと僕の答えと同じはずだね


の部分を歌うことを拒否し、そこの部分は河ちゃんが歌っている。


一説によると河ちゃんがその宗教にはまりすぎて、作曲の中にもでてきたりして、
それがブルーハーツの方向性が合わなくなった解散の原因だとも言われている。



直感の大切さを歌っているのだろうが、どうしても裏にその宗教が透けて見えてしまう。



バンドの10年よりも幸福の科学に出会えた事の方が大きいと言っている。



あまりこの宗教についての知識がないので、コメントはしませんが、
この歌を逆によくヒロトが歌ったなぁ〜と思う。


こんだけモロ出しの歌詞であれば、全部を歌わない、っていう選択もあったと思いますが、
バンドの義務として歌ったのでしょうか。
実際、解散を決めた「PAN」というアルバムでは、ヒロトは自分の曲以外歌っていない。それは
河ちゃんのハマり具合が加速しすぎて、タイトルでも脆わかり


ヒロト・マーシーについて「死人」というハイロウズ時代の歌では、

「死んだら死んでいるだけだ 地獄や死後の裁きとか そんなのは嘘っぱちだぜ 臭い金のニオイがする」

と歌っているあたり宗教についてはかなり否定的な態度を示しつづけている。


「そうか、そうだ」っていう曲も、もしかしたらものすごい皮肉の曲かもしれない。


河ちゃんは、最終的にこういった発言をされている。

「日本人はエル・カンターレをナメてるよ。エル・カンターレをなんだと思ってるんだよ!
みんな気づくのが遅すぎ。俺なんかレーダーが優秀だもん。国師であり、ワールドティーチャーなのがまだわからないのかなぁ。」


こういう、宗教とかそういう信心深い人っていうのが、俺だけは知っててお前らはなんで知らないんだ、っていう感じで思想を押し付けてくることがあるなぁと。

レーダーが優秀、という表現をしているあたり。それが知らないことが問題であって、価値観の違いではないと言い張っている。

例えばその素晴らしいとされている宗教、それはその人の価値観にたまたまものすごく合致しただけの結果であって、それが万人には当てはまるはずはないのに、なんでわかってないんだっていう、わからない部分にフォーカスを当てて、そもそも価値観が違うっていうことを認めようとしないことがある。


そういうところに、ヒロトやマーシーは少し違和感を覚えたのかもしれない。

メロデイは軽快なので、あまり深く考えずにきくといいです。
posted by 荒井コウスケ at 07:00 | Comment(13) | STICK OUT (6th Album) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月13日

チェルノブイリ(作詞・作曲:真島昌利)




この歌の実際は、チェルノブイリに行きたくねえっていう文字通りとは逆の、
本当に悲痛な叫びの歌だと思う。


チェルノブイリ原発事故をたまたまこの曲のテーマにとっているけれど、
「どうしようもない現実」っていうのがある、っていうことだと思う。


チェルノブイリにいる人達は大変だし可哀想だし心配だけど、その現実に対して、じゃあどうすればいいの?っていう声がこの曲から聞こえてきます。


行きたくねぇって反発してるふうだけど、本当は優しい心を持った人の歌に聞こえてしょうがない。


誰かが線をひきやがる 騒ぎのドサクサに紛れ



線をひく、という言葉からいだく印象は、明確にこっちとそっちを分けること、すなわち自分は違うんだ、って関係ないんだ、っていうこと。
この言葉は、いかようにも解釈できて、考えればたくさんの意味付けをできる。


原発の事故と関連づけるのかはなぞだけど、個人的な解釈としては
「チェルノブイリ周辺」と「チェルノブイリ以外の国」という、その線引かなぁと。

人間は表面上ではいいことをいうけれど、
自分は事故の影響を受けたくないから、この騒ぎの中で誰にも気付かれないように、今回の原発のことには関わりたくない、
という本心があるんじゃないか。

ブルーハーツはそれ自体を否定も肯定もしていないと思う。そういう現実があるんだ、っていうこと。

なんとかしなきゃいけないとはいいつつも、俺は違う、俺はそこにかかわらないよ、っていう線引きをしている事実です。




誰か俺を見張ってる 遠い空の彼方から

これは、遠くの国で大変なことが起きているその現状が常に頭のなかにあって離れない、ってことなのかなと解釈した。

つまり、何か楽しいことをやっていても「チェルノブイリは大変なことになってんだぞ?」と、
まるで楽しんじゃいけない、楽しむことに罪悪感を覚えさせられてしまう、主人公の気持ちが、「見張っている」という
表現につながっているんじゃないだろうか。




チェルノブイリには行きたくねえ あの娘を抱きしめていたい どこへいっても同じことなのか


これは、どうだろう、これをきいて、みんなどういう感覚を抱くのだろうか。

僕はすごいわかるのは、
後半のどこへいっても同じことなのか、という問いかけの部分だ。それは、こう僕は解釈する。


チェルノブイリ原発によって、苦しんでいる人がいる中で、あの娘を抱きしめたいという個人的な感情があって、
そういった苦しんだ人たちを救う前に個人的なそういった感情を優先させることに対して、どこへいっても同じことなのか、
という罪悪感の入り混じった中で生きていく遠くの国からの視点だ。

チェルノブイリには行きたくねえ、これが絶対にあるんですよね。それを言ってしまう。

だって誰も放射能を浴びたくない。じゃあ誰がやる?どうすればいいの?
そんなやるせない思いに近い。


東の街に雨が降る
西の街にも雨が降る
北の海にも雨が降る
南の島にも雨が降る


これは、東西南北どこにいこうと、今回の一件から知らないふりをすることはできないよ、
っていうニュアンスの含みがありそうな気がする。
どこに言ったって、放射性物質を含んだ空気が雨となって地球にふっているんだよ、っていうこと。




まあるい地球は誰のもの?砕け散る波は誰のもの?吹き付ける風は誰のもの?美しい朝は誰のもの?


ブルーハーツは、地球とか波とか、神聖なる自然のものに対して、本当に敬意をもって人間がそれを
汚染していくことに嫌悪を覚えている。

他の曲で


「海まで山分けにするのか 誰がつくったものでもないのに」(1985)


「ヘリコプターに驚いた お天気の神様が さようならも言わないで 黒い雨降らせてる」(シャララ)



という風に歌っているということもそれを証明している。


生きているこの地球の、美しい朝、風、波は誰のものでもない。


それを人間が所有したかのように好き勝手使って、原発を生み出して、地球を汚した。

これは反原発の歌なのかもしれない。人間が生活を便利にするために、原発を生み出しさえしなければ、
きっとこんなことにはならなかったのに。。。という。

ちなみに私は原発については反対でも賛成でもない。なぜなら代替え案が思い浮かばないから。
原発ほどの効率的な電力供給システムを開発できることは、可能なのか。

そこだと思う。


実際に電気がなくなって困ることも多々有り、それによって成り立っている幸せもたくさんある。


その幸せを強制的に失くすことが、果たして得策なのかはわからない。


ブルーハーツは、ライブのMCでこの曲を聴いて、いろいろ自分で調べて下さい、
というようなことを言っていたから、反対というメッセージよりも、
一人ひとりがこの問題についてもっと深く考えよう!というのが本質のような気がしている。
posted by 荒井コウスケ at 07:00 | Comment(7) | その他シングル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする