2014年11月24日

東京ゾンビ〜ロシアンルーレット〜(作詞・作曲:甲本ヒロト)




この曲に込められているのは生きてるのか死んでるのかわからないような、

東京にさまよっているゾンビのような目をした、

現代を生きる人たちへ痛切なメッセージなのかな、と。



それを皮肉って「東京ゾンビ」としているのかなと。



そしてロシアンルーレットと称され、



この世の真理、「偶然」について歌われている。



さあ どうだ賭けないか 死にたかねえけど 死ぬかもよ

ビッグなチャンスはいらないか 死にたかねえけど 死ぬかもよ




ただ生きてるだけじゃつまんない。そもそも偶然から生まれたこの生命、地球、宇宙、

全部偶然なんだから、せっかくの人生、ビッグチャンスにかけてみないか、

そうブルーハーツに問いかけられている気がする。



ロシアンルーレット ロシアンルーレット

1から10まで偶然だ 夜が暗いのも偶然だ



ロシアンルーレットって、当たった人が死ぬから、本当はものすごく緊迫感のあるゲームなのに、

この歌は少し愉快に歌われてる。



ワクワクしてる気持ちが伝わってくる。



誰が死ぬかな?、次は誰だ?って。



なんでそんなにワクワクしてるのかはわからないけど、この世の偶然というものがもたらす絶対感に逆らえない事実を、俯瞰的に見すぎて笑けてくる気持ちだろうか。





はたして弾丸は弾倉に 死にたかねえけど死ぬかもよ


弾倉というのは、拳銃の弾丸をつめておけるものを指している。

度胸試しの究極形ですね。

弾倉に入っている状態で引き金をひきゃあ、そりゃ即死だろう。



ちなみに、余談ではあるが、弾丸を受けての死因というのは臓器破壊による死は少なく、

実際には瞬間的に細胞が破壊されることによるショック死が圧倒的に多いとのこと。

つまり、そう簡単には心臓には命中しないらしい。



はたして黄金はこの街に 死にたかねえけど 死ぬかもよ




ビッグなチャンスのくだりと一緒ではあるが、この街のどこかの財宝を目指して生きていくのは刺激的じゃないか?退屈な安全を好むよりも。



そんな風に言われている気がしてならない。



他の曲でも、煽るような曲が多いし。英雄にあこがれとか、「あんまり平和な世の中じゃ かっこ悪すぎる

ああ 宣戦布告 手当たり次第」
と言ってるし。



安定した生活こそ最善だとしている現代人に対して、刺激を与えてくれる曲となるに違いない。



ちなみに私は刺激が好きなので起業した。まさにロシアンルーレット。



死ぬかもしんないから怖いけど、その分ワクワクしてる。



さあ、どうだ賭けないか。自分の人生どうなるか。
posted by 荒井コウスケ at 07:00 | Comment(5) | HIGH KICKS(5th Album) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月17日

シャララ(作詞・作曲: 甲本ヒロト)



軽快で明るいメロディとは裏腹に、世界全体の大きな単位での視点でつくられた歌。

たいへんだ 真実がイカサマと手を組んだ 誰か僕に約束の守り方教えてよ


という出だしから始まる。
この辺の表現は秀逸と思う。社会の一片をこのひとつで表している。


やってはいけないこと、罪の歌と感じる。それはあえてこの軽快なメロディに載せようという、意図的なものを感じさせる。
「約束の守り方」、わからない。守ったという事実が結果としてあるだけ。約束とは、結果論でしかないんじゃないか。
守ろうと思っている時点では、まだ守った事にはならないんだ。

世の中で起きている、いろんな悪いこと。真実までもがイカサマと手を組まれたら、
約束がなんなのかすらわからなくなるよ、そんなやりきれない気持ちも感じる。


ヘリコプターに驚いたお天気の神様が  サヨウナラも言わないで黒い雨ふらせてる



人間がしてきたこと、当時の1988年という年代も関係しているだろうが、
ヘリから爆弾を落としまくっていた時代。

今だって続いている。

そういった自然への冒涜を訴えている。


原爆投下も、意識されているだろう。

1985という歌の中でも「黒い雨がふる死にかけた街」という表現を日本に対してしているので。

黒い雨とは、原爆投下後の放射性物質に汚染された雨のことである。


そこに驚いた神様が、掛ける言葉も見当たらず、汚い雨を、地球を浄化するためにふらせているんだ、
というニュアンスを感じる。



見上げてごらん 風に乗った女神様
誕生日もわからない 白髪のおばあさん



上を見上げてみても、もう女神は誕生日もわからないぐらい、年老いてしまっている。



ちからこぶもつくれない あなたの力では
プロレスラーも倒せない 世界平和守れない



そんな状況で、ちからこぶも作れない非力さでは、人間のプロレスラーさえも倒せないさ。


ましてや、世界を守ることなんて、もうできそうにない。


もう神様には頼れないんだ。


人類がしてきた、様々な罪があるんだ。神様にも見捨てられ、女神様にももう力は残ってないさ。

じゃあどうするんだ、人類?


奇跡を待つか 叫ぶのか



何をすればいいっていうんだい?
奇跡をまてばいい?叫んだら何か変わる?

どうすればいいんだ。


すべての罪は みんなで わけましょう
みんなでわけましょう


特定の誰かが悪いだけじゃないんだ。みんな、それぞれ、己の責任で考えていかなくちゃいけないんだ。

人類全体の罪だ。みんなでわけていこう。

そうするしかないだろ?


そんなことを言われている、明るいメロディでわざとその悲壮感を隠している気がするこの曲。


子供のコーラスとかも入っていて、なんだか一見楽しそうに見えるのだが、
深いメッセージを感じる、ブルーハーツらしいそしてちょっと皮肉のような
世の中へ突き刺すような、当時のブルーハーツの王様は裸じゃねえか、っていっちゃうような
パンクスタイル丸出しの一曲である。
posted by 荒井コウスケ at 07:00 | Comment(2) | その他シングル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月10日

爆弾が落っこちる時(作詞・作曲:真島昌利)



マーシーがどのような状況でこの曲を書いたのかは不明であるが、
在る特定の個人に向けられたものではなく、この世の中の不条理への怒りを表したものだろう。

ブルーハーツが社会派と言われる時がたまにあるが、
こういう曲がその側面を匂わせている。


この出だしの歌詞は、世の中のおかしい状態に、そうじゃないだろ、
ってメスを入れる本質をズバッと指摘するような歌詞だ。


誰一人 望んではいないのに 
誰一人 喜んじゃいないのに

爆弾が落っこちる時 何も言わないってことは
爆弾が落っこちる時 すべてを受け入れることだ




誰も望んでないとわかりきっていることでも、
そういったことをやると決めた時に、何も言わないってことは、
それを肯定していることにもなるんだ、っていう訴え。


こういうのって、日常でもよくある。


本当は嫌なのに我慢して言わないってことは、それは受け入れているということと一緒だ。


会議で異論を唱えなければ、受け入れているのと一緒だ。


言いたいことがあるなら言いなよ?っていうのをマーシーに言われている。


そう、これは爆弾を落とす側だけでなく、落とされる側の視点を持ってかかれている詩なんだ。

いじめられっこよ、やられたらやりかえせ。言われたら、100倍返しだ。


僕は自由に生きていたいのに
みんな幸せでいるべきなのに

爆弾が落っこちる時 僕の自由が殺される
爆弾が落っこちる時 すべての幸せが終わる


爆弾を食らわせられた人の気持ちを代弁している。
ただ、自由に生きていたいだけだったのに、国の事情とか大人の事情とか
わけわからん制約で、個人の幸せが終わっていくことを嘆いている。


何がそれで楽しいの?そんな風に言われているみたいだ。



そしてそれらすべてをトータルして、本質をぶち破った語り継がれる名言。



いらないものが多すぎる




爆弾とかいるのか?
偏見とかいるのか?

生まれたところや皮膚や眼の色で判断することって、いるのか?


ってどんどん考えっていったら、いらないことばかりだ。



そして続いていく歌詞。




大人も子供も関係ないよ
右も左も関係ないだろ



マーシーは、変な条件とかが嫌いだ。

大人だから、とか、子供だから、とかそんなちっぽけなうそ臭い判断基準で、
本質をずらされることが。


大人だろうが子供だろうが、爆弾は必要なのか?

そして、この右も左も、というのは右翼・左翼というニュアンスを少なからず含有しているだろう。

右翼でも左翼でも、爆弾は必要なのか?


長崎・広島の背景も、ずっとあると思う。

後ほど、アメリカ魂というハイロウズの曲でも、それを感じた。


日本人としての立場も少し感じられ、一方では全世界的なメッセージともとれる、
後世に残したい名曲だ。
posted by 荒井コウスケ at 07:00 | Comment(4) | THE BLUE HEARTS(1st Album) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする